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【ブルベ】2024BRM502日本橋1000ツールド奥の細道【実走レポートその3】

ブルベレポート

こんにちは。ノブです。

BRM502日本橋1000ツールド奥の細道に参加してきました。今回は、宮城県石巻市から山形県新庄市までの318kmまでをレポートします。

走行データ

ブルベ走行レポート

520km地点:ルートインホテル石巻インター店

目覚ましの音で目覚めて、時計を見ると午前2時半過ぎ。たしかタイマーは午前1時半に起きる設定だったはずです。

どうやら目覚ましを止めて即座に二度寝を決めてしまい、起きがけに聞いた目覚まし音はスヌーズ設定のもののようでした。1時間の寝坊でよく済んだなと安堵します。

でも、1時間くらい寝坊しても焦ることはありません。元々、余裕を持って計画を立てていますし、この先は那須高原のような長い登りもありません。多少の遅れは挽回できます。

お陰で5時間も睡眠が取れ、体力を十分に回復させることができました。

事前にコンビニで買っていたカップ麺とおにぎりで食事を取ってから、チェックアウトします。自転車の準備を整えて出発したのが、午前3時半頃。滞在時間は6時間50分でした。

まずは、523.8㎞地点のPC11[日和山公園]へ。すぐ近くなのでサクッと終えたいところですが、公園直前には激坂が待っています。

その斜度は30%。Qシートでも押し歩き推奨のため、斜度が緩くなるところまでは歩いて進みます。歩きやすいSPDシューズでよかったなと思える場面ですね。

PC11:523.8㎞地点[日和山公園]

日和山の看板を写真に収めたら、次の目的地601.1㎞地点のPC12[中尊寺]に向けて、再び北上していきます。

今日の通過地点となる一関市の天候を確認すると、予報通りの晴れ模様。それに風も弱く、走りやすいコンディションです。

石巻市の市街地を抜ける際、キカイダーのキャラクター像を発見。石巻市は漫画家石ノ森章太郎先生の出身地ですね。

JR石巻駅から石ノ森萬画館まで間は『マンガロード』と呼ばれ、現在は28体ものキャラクター像が立っているようです。石ノ森萬画館は日本一周中に立ち寄りましたが、見応えがあって満足度が高くオススメです。

石巻の市街地を抜けると北上川に合流し、川沿いを進んでいきます。

午前6時頃に一関市へ。小高い丘の上で岩手県へと入りました。60kmほどノンストップで走ってきたので、市街地のコンビニで休憩を入れて、平泉を目指します。

一関市の市街地に流れる磐井川を渡るところで芭蕉の足跡を発見。芭蕉が平泉を訪れた際に泊まったと伝えられるのが、磐井橋付近の金森邸です。ここに2泊したことから「二夜庵」と呼ばれています。

平泉までは1本道で、再び一関市に戻ってくるルート構成になっています。そのため、折り返してくる参加者をよく見かけ、互いに挨拶をしつつ進んでいきました。

この折り返しルートは、芭蕉が一関から日帰りで平泉を訪れたことをなぞっているのでしょうね。

PC12:601.1㎞地点[中尊寺]

601.1㎞地点のPC12[中尊寺]には午前7時55分頃に到着。参道入り口脇にある「関山中尊寺」の石碑を撮影し、証跡とします。

平泉は奥州藤原氏が3代に渡り治めた地。そして、源義経が最期を迎えた地でもあります。

この平泉で芭蕉が詠んだ句は、あまりにも有名ですね。

夏艸や 兵共が 夢の跡

今や夏草が生い茂るばかりだが、ここはかつては武士達が栄誉を求めて奮戦した跡地である。昔のことはひと時の夢となってしまったなあ

出典:俳句の教科書

また、中尊寺金色堂を訪れた芭蕉は、こちらの句も残しています。

五月雨の 降り残してや 光堂

何もかもを朽ちさせてしまう五月雨も、この光堂だけは降らなかったのだろうか、金色の堂宇が光り輝いていることよ。

出典:俳句の教科書

次のPCは661.5㎞地点のPC13[岩出山芭蕉像] です。これまでずっと北上を続けていましたが、ここから進路は南西へと変わります。

ただ、ここから先は西からの向かい風となるため、風向きは良くはありません。ですが、幸いなことに山の中を進むことになりますし、海沿いの吹きっさらしに比べれば影響は少なく感じられそうです。

一関まで折り返したら、芭蕉が岩出山に向かう際に歩いたとされるはさま街道へ。長閑な里山の景色が広がっていて、小さなアップダウンはあるものの、快適な道のりです。

岩手県から宮城県へと戻り、さらに南西へと進んで行きます。

道中、『山の駅くりこま』を見かけました。ここは物産館とコンビニが駐車場を共用している大きな施設だったので、トイレ休憩と補給に立ち寄りました。

軽食コーナーはありませんでしたが、露店で売っていた揚げ団子が揚げたてで、甘しょっぱくておいしかったです。

小休止を挟んで再び小さなアップダウンのある里山の中を進んでいきます。

その時々で鳴子温泉と表示された青看板を見かけます。PC14に向かう進路上にある温泉地なのですが、なかなかそちらの方に曲がることなく、いつになったら目指すのか、少しヤキモキしながら走っていました。

PC13:661.5㎞[岩出山芭蕉像]

661.5㎞地点のPC13[岩出山芭蕉像] には、午前11時20分頃に到着しました。

芭蕉は枕詞『岩出の里』がどんな場所か見るためにこの地を訪れたのですが、特に句は残していない様子。証跡の芭蕉像を写真に収めたら、すぐに出発します。

次は704.3㎞地点のPC14[山刀伐トンネル] を目指します。すぐに国道47号線に合流すると、35kmほど1本道です。西に向かうため、山々の谷間を進む国道は完全な向かい風となりました。

GWで交通量も多く、道中にあった道の駅もごった返していました。

しばらく辛抱強く進んでいくと、鳴子町へと入ります。気温も上がって初夏を思わせる陽気だったので、見かけたジェラート屋さんに吸い込まれていきました。

『なるこりんの野菜ジェラート』は、地元の野菜をメインに使用したジェラート屋さんで、ディスプレイの中には珍しい味のジェラートがいっぱいです。

その中で、フキノトウとアロマレッドニンジンのダブルを注文しました。ニンジンはふんわり優しい味わいでしたが、フキノトウは苦味までしっかり風味を感じます。自分は野菜の苦味も大好きなので、非常に満足なジェラートでした。

補給を終えて進み始めると、温泉地が姿を現してきます。国道沿いには5つもの温泉地のあり、それらを総して鳴子温泉郷と呼ばれているようです。

その中で中心地となる鳴子温泉の日帰り温泉へとやってきました。訪れた東多賀の湯は、宿のお風呂を開放しているようです。

湯船は檜造りでこぢんまりとした落ち着いた感じでした。源泉掛け流しの白濁とした湯で、非常に気持ちよく長湯してしまいたい衝動に駆られました。

ただ、800円という値段設定だったので、少しルートから外れますが、鳴子温泉中心部にある公衆浴場を使った方が節約できるかもしれません。

ちなみに鳴子温泉郷には、日本に11ある泉質のうち8つが集まっているとのことで、今回入った湯はその一つ。全泉質コンプしたいところですが、それはまたの機会にしたいと思います。

ちなみに芭蕉は鳴子温泉に宿泊することなく、峠越えへ。もったいない……。

鳴子温泉までは緩やかな登りでしたが、そこを過ぎると少しずつ斜度が上がってきます。芭蕉が番人に厳しく問い詰められた『尿前の関』も、斜度のキツくなった辺りにあったようです。

尿前の関を越えると、その少し先で山形県へと入りました。

そのまま登り続け、国道47号線の頂上付近に来ると、『封人の家』があります。ここは国境の役人が住んでいた家で、奥の細道に登場した施設の中で、現代に唯一残る建築物です。

国越えの際、芭蕉は雨のため2泊、ここに滞在したそうですが、そのときに以下のような句を残しています。

蚤虱 馬の尿する 枕もと

ノミやシラミが跳ね、飼っている馬の尿の音まで枕元に聞こえてくる。

出典:俳句の教科書

散々なことを歌っていますが、最上町はかつて小国駒と呼ばれる馬の産地でした。そのため、馬と寝食を共にするのが、この辺りでは当たり前だったようですね。

道を挟んで反対側には芭蕉茶屋と呼ばれるお店があり、昼食にお蕎麦をいただきました。お蕎麦はラス1だったようで、非常にラッキー。蕎麦の風味豊かでとても美味しかったです。

ここからダウンヒルですが、途中で国道47号線と分かれて赤倉温泉の方へと向かい、PC14[山刀伐トンネル] に向けて登り返していきます。

PC14:704.3㎞地点[山刀伐トンネル]

緩やかな登りを進み、14時15分頃にPC14[山刀伐トンネル] に到着。

この近くに山刀伐峠の入り口があり、整備された遊歩道が続いています。ですが、当時は山賊も出没する険しい難所で、芭蕉も案内人を雇ったほどでした。

トンネルを過ぎると、そこからはしばらくダウンヒル。斜度が緩やかになり尾花沢市に入ると、ルート上に芭蕉の資料館がありました。

尾花沢には芭蕉の旧友の清風が暮らしていて、芭蕉は10日間滞在しています。そこでいくつか歌を残しています。

涼しさを 我宿にして ねまる也

涼しく過ごせる(清風さんの)お屋敷で、(まるで)私の家のようにくつろいでいます。

出典:和歌の世界

まゆはきを 俤にして 紅粉の花

辺り一面に咲き誇るベニバナを見ると、眉掃きを(使う女性の姿)が浮かび上がってくるよ。

出典:和歌の世界

それにお蕎麦屋さんが至る所に見かけるようになりました。尾花沢市は蕎麦の産地で、芭蕉も食したことから『おくのほそ道 尾花沢そば街道』と呼ばれているようです。

尾花沢市から天童市までは、真南に進みます。天童市ではランドヌールからの激励の迎撃を受けたり、ちょうど北風が吹いていたので追い風基調で順調に進むことができました。

天童市からは東へと進み、芭蕉句碑のある天童おもかげの丘を通って、山寺に向けて緩やかに登っていきます。

PC15:759.4㎞地点[立石寺]

立石寺へは日の傾き駆けた16時50分頃に到着しました。

立石寺で詠んだ句は教科書に載るほど有名ですよね。ですが、どうやら当初の計画では訪問予定はなかったようです。尾花沢滞在中に薦められたことから訪れ、その素晴らしい光景に胸を打たれることになり、あの句が生まれることとなりました。

閑さや 岩にしみ入 蝉の声

なんて静かなのだろう。石にしみ入るように蝉が鳴いている。

出典:俳句の教科書

参道は観光地化されていて、飲食店が多く点在しています。ギリギリ営業時間内だったので、甘い物で補給しました。

その後、折り返して再び天童市街地へ。次の目的地は新庄市にあるPC16[芭蕉乗船の地] です。北西へと進むことになりますが、今度は北風が強く吹く中を辛抱強く進んでいきました。

道中にラウンドアバウトがありました。日本では珍しいので、見かけるとテンションが上がります。

日が落ちて風が弱まる中、最上川に沿って北上。ずっと平坦かと思いきや、距離は短いですが葛折のある登り道もありました。

PC16:823.1㎞地点の[芭蕉乗船の地]

いつのまにか新庄市へと入り、20時10分頃にPC16[芭蕉乗船の地] に到着。

芭蕉はここ本合海から清川に向けて、船で最上川を下っていくことになります。そして、その経験から奥の細道でも有名なこの句が生まれることとなりました。

さみだれを あつめて早し 最上川

梅雨の雨(さみだれ)が最上川へと流れ込んで水かさが増し、危険なほどに流れがはやくなっていることだ

出典:俳句の教科書

PC17:833.8㎞地点の[ローソン 新庄上金沢町店]に

次は10km先の833.8㎞地点のPC17[ローソン 新庄上金沢町店]です。新庄市の市街地に入る道路が若干荒れていましたが、それ以外は特に気になるところもなく、20時50分頃に到着。

ローソンでは軽めの補給に留め、仮眠のために新庄駅前のルートインへ向かいました。

このルートインは部屋に自転車を持ち込み可能ですが、上の階まで持ち込むのが面倒くさくなったので、そのまま駐車場の脇に停めさせてもらいました。

汗を流したらすぐに就寝。ここでも4時間ほど仮眠をする予定です。

レポート③は、ここまで。レポート④ではゴールの秋田県にかほ市までをレポートします。

ブルベレポート
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この記事を書いた人
ノブ

ろんぐらいだぁす!をきっかけに'17年春からロードバイクを始めたキャンプ、登山、サブカル好きなサイクルツーリスト。
 
ウマ娘から競走馬に魅了され、引退馬支援活動を'22年から開始。馬産地巡りが最近の楽しみです。
 
◇出身地
北海道(現在は東京都在住)
 
◇自転車歴
'19年 日本一周約1.5万km完走(172日)
'20年 ブルベ挑戦
'20~'23年度SR獲得
'23年 PBP完走(86時間49分)
 
◇所有自転車
KhodaaBloom FARNA 700-105
KhodaaBloom STRAUSS PRO RACE2
Birdy Standard Disc
 
◇引退馬支援活動
'22年~NPO法人引退馬協会のFP会員。タイキポーラ、ナイスゴールドの2頭を支援中。
 
  
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