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【ブルベ】2024BRM502日本橋1000ツールド奥の細道【実走レポートその1】

ブルベレポート

こんにちは、ノブです。

2024シーズンもGWに突入。BRM502日本橋1000ツールド奥の細道に参加してきました。

今回は、スタートの東京都から福島県郡山市までの330kmをレポートします。

走行データ

ブルベ走行レポート

スタート地点:木場公園

『月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。船の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを向かうるものは、日々旅を住処とす……』で始まる奥の細道の序文。

今回のブルベは、松尾芭蕉が各地を旅した紀行文を元に、ミュージシャンでありサイクリストの忌野清志郎さんが辿ったツール・ド・奥の細道の足跡を辿る1000kmの旅になっています。

スタートが正午からということで、起床は遅めの午前9時過ぎ。7時間近く睡眠が取れたので、オーバーナイトも問題無くできそうです。

出発前に天候を確認すると、通過地点の草加市は晴れ予報でした。風向きも東となっていて、北西に向かう初日のルートには都合の良い感じです。

自宅から15kmを自走して、スタート地点の木場公園には午前11時半過ぎに到着。この先、約50kmは休憩するつもりはないので、コンビニで購入したおにぎりを食べてカロリーを蓄え、車検時間を待ちます。

木場公園では、にっくさんにお会いし互いにエールを送りつつ、定刻の12時にスタート。進路は北。初日は約330km先の福島県郡山市を目指します。

30分毎のウェーブで分散されているとはいえ、序盤は集団になりやすいので、先行した方々を見送り、少し遅らせてスタートしました。

それでも信号峠により先行集団に追い付いてしまうので、チェックポイントではない芭蕉ゆかりの地も積極的に立ち寄り、のんびりと首都圏を抜けていきたいと思います。

スタートして約1km先に芭蕉の所縁の地があります。芭蕉は奥の細道の旅立つ前に、日本橋にあった家を売り払っています。そして、深川の『杉風の別宅』に身を寄せていました。

芭蕉が家を引き払う時に読んだ句が、奥の細道に記された最初の句になります。

草の戸も 住替る代ぞ 雛の家

住み慣れてきたこのみすぼらしい草庵も、住み替わるべき時がきた。誰かあとで引っ越してくる人が、おひなさまを飾って華やかになることがあるだろう。

出典:俳句の教科書

そのすぐ隣には、『芭蕉俳句の散歩道』があり、奥の細道の道中で読んだ句が並んでいました。俳句の世界に縁遠い自分にとって、こうして見るのは学校の授業以来かもしれません。これから、松尾芭蕉が句を詠んだ地を巡っていくと考えると少し不思議な気分になります。

最初の芭蕉観光を終え、再出発。ただ、今日は平日とは言えGWです。大きな通りの交通量は多く、雷門など観光地の近くは人もごった返しており、抜けるのにはかなり神経を使いました。

浅草を抜けて千住方面へ。JR南千住駅前には芭蕉の像があり、その少し先には隅田川が流れています。そして、千住大橋を渡った先には、芭蕉の長い旅の始まりの地『矢立の渡し』がありました。

深川から船で千住までやってきた芭蕉は、『矢立の渡し』から徒歩で北上して行くことになります。矢立の渡しでは、見送りの人達との別れを惜しみながら詠んだ句が残っています。

行春や 鳥啼魚の 目は泪

春が過ぎ去ろうとしているところに、旅立つ別れを惜しんでいたら、鳥たちは悲しそうに鳴き、水の中の魚も涙をためているではないか。より悲しみが沸き上がってくる。

出典:俳句の教科書

隅田川に次いで荒川も渡り、走り始めて1時間20分ほどで埼玉県草加市へ。今回はゴールの秋田県を含む8つの県を跨ぐことになるので、最初の1県目となります。

草加市には日光街道が通っており、江戸時代には草加宿として栄えていました。芭蕉も奥の細道の道中に訪れていて、同行者の河合曾良の像があります。それに草加せんべい発祥の地です。曽良像の隣には、草加せんべい発祥の地記念碑もありました。

草加市を抜けて、江戸川の右岸を北上。江戸川に架かる宝珠花橋を渡れば千葉県へと入ります。

そして、すぐに関宿へ。利根川に架かる境大橋を渡って茨城県入りです。千葉県にいたのは、ほんの僅かな時間でした。

境大橋を渡ったすぐのところに、『道の駅 さかい』がありました。ちょうど55kmほど走ったので、そこで補給を兼ねてトイレ休憩です。

補給は『さかいサンド』にて。ここは地元の食材を使ったサンドイッチが食べられます。牧場で絞った牛乳を使ったチーズサンドイッチも美味しかったですし、メロンサンドは甘すぎないクリームと果肉たっぷりで絶品でした。

PC1:69.6㎞地点[セブン-イレブン 総和新小堤店]

道の駅から14kmほどで最初のPC『セブン-イレブン 総和新小堤店』に到着。スタートから4時間が経過し、時刻は16時を少し過ぎたところ。平均時速は17.4kmほどでした。

2022年の時よりも20分近く遅い到着ですが、あの時は貯金を稼ごうと雨の中を頑張って走っていたから当然で、今回は山越えに備え力を抜いて走れています。なので、計画通りです。

道の駅で十分に休憩していたので、コンビニ休憩は10分以内に済ませ再出発。次は約25km先、PC2大神神社です。

進路は相変わらず北へ。出発してすぐに栃木県入り。予報通り、風向きも良く、ほどよい微風で走りやすいです。

PC2:95.5㎞地点[大神神社]

1時間ほど走って17時25分頃にPC2の大神神社に到着。ここは芭蕉が最初の訪問先となります。ここは『室の八嶋(むろのやしま)』と呼ばれ、俳句の枕詞によく使われた場所なのだとか。

日光に向かう道中、わざわざ寄り道をして大山神社を訪れたのは、聖地巡礼がしたかったためのようですね。

鳥居の写真を証跡として収めて再出発。次の目的地は日光。148.8㎞地点のPC3[裏見の滝]です。

さらに北上を続けて鹿沼市まで走り、ルート上にあった『まちの駅新鹿沼』に芭蕉の像がありました。芭蕉は鹿沼宿で一泊して日光に向かう英気を養っています。

芭蕉は大の蕎麦好き。鹿沼名物にニラ蕎麦があり、ちょうど良い時間だったので夕食にしようと鹿沼駅前の蕎麦屋『みっちゃん蕎麦』を訪問。ラストオーダーギリギリ間に合ったかと思ったのですが、満席で入れませんでした……。このお店、芭蕉そば御膳というメニューがあって狙っていたので残念です。

他に営業しているお蕎麦屋さんが見当たらず、コンビニで蕎麦を補給。気温が少し下がってきたので、レインジャケットを防寒着代わりに羽織って日光を目指します。

徐々に日が暮れていきますが、まだ路面を視認できるくらいには明るさがあります。ですが、日光市に入ると樹齢300年を超える杉並木によって、光の届かない闇が出来上がりました。そして、緩やかな登りが多くなってきます。

杉並木の日光街道は路面が荒れている部分も多く慎重に進んでいくことになります。国道119号線に合流し、東武日光駅前を通過する頃には時刻は20時を過ぎていました。

東武日光駅以降も斜度はキツくないものの、延々と登っていきます。裏見の滝に向かう脇道に入ると、斜度が少しキツくなってきました。

PC3:148.8㎞地点[裏見の滝]

折り返してくるランドヌールたちに挨拶しつつ坂を登っていき、20時40分頃にPC3の裏見の滝に到着しました。

芭蕉と曽良は日光東照宮を参拝した翌日に裏見の滝を訪れています。

暫時は 滝にこもるや 夏の初

滝の裏の岩窟に身をひそめていると、夏篭りをしている修行僧のような気分になり、身も引き締まることだ。

出典:俳句の教科書

裏見の滝の由来は滝の裏側を回ることができることからですが、現在は真っ暗。流石に行くのは怖いので、証跡の案内板を写真に収めたら早々に再出発します。

次の目的地は211.1㎞地点のPC4[芭蕉の館]。進路は北東へ。まずはダウンヒルです。徐々に斜度は緩くなりますが、PC4の近くまでは下り基調となります。

ダウンヒルの途中でコンビニに立ち寄って補給し、さらに矢坂市まで下っていきました。2022年に参加した時は雨と冷え込みで、ガタガタ震えながらコンビニへ逃げ込み、温かな飲み物を飲んでいた記憶があります。

大田原市の市街地を通りがかったところで、本日の走行距離は200kmを突破。矢坂市や大田原市で宿を取る参加者は多いかと思いますが、オーバーナイトの計画なため、そのまま市街地を通り過ぎていきます。

PC4:211.1㎞地点[芭蕉の館]

211.1㎞地点のPC4[芭蕉の館]には、23時半頃に到着しました。証跡は入口の看板または敷地内の芭蕉像ですが、どちらも写真に収めておきました。

大田原市は古くは黒羽という地名で、芭蕉は黒羽に14日間と長期滞在しています。今は跡地に碑があるだけですが、修験光明寺というお寺を訪問し、詠んだ句が残っています。

夏山に 足駄をおがむ 首途哉

夏の登山(を安心して越えられるよう)、(健脚な役行者にあやかるため)高下駄を拝んだ、(ここからが本格的な)旅立ちなのだなぁ。

出典:和歌の世界

次の目的は、PC5の殺生石。『九尾の狐』伝説にまつわる史跡です。ここから那須塩原に至るまでは、那珂川沿いに緩やかに登っていき、県道17号線に合流してから本格的な登りが始まります。

県道17号線の序盤は観光地らしくお店が点在していますが、深夜のため開いているのはコンビニくらい。そこで補給を済ませておきました。

序盤は緩い坂ですが、那須湯本温泉に近づくにつれて斜度が上がっていきます。

PC5:243.2㎞地点[殺生石]

那須湯本温泉の長い直線を過ぎるとカーブがあり、その途中がPC5の殺生石です。この直線の前後の登りが一番キツかったかもしれません。

野をよこに 馬挽むけよ 郭公

馬に乗って野原を横切っているとホトトギスの鳴き声が聞こえる。馬を鳴き声の方に向けよ

出典:俳句の教科書

これは芭蕉が那須湯本温泉に向かう道中に詠んだもので、殺生石の前で詠まれた句は、奥の細道には載っていません。曽良旅日記にて、「石の香や夏草赤く露暑し」と殺生石についての句が残されていますが、これだけ苦労して登ったのだから、奥の細道として一句残しておいて欲しかったです。

ここでは殺生石の看板を証跡に写真を収めておきます。

標高が1000mを越えるため肌寒さがありますが、2022年の時に比べれば凍えることはなく、まだ暖かいくらいです。それに今日は晴れ予報で、雲が発生していません。そのため、空を見上げれば満点に星空が広がっていました。

スマホで撮影しても、ここまで星が映るくらいの絶景。この夜空を見られただけでも、再チャレンジした甲斐があったというもの。

殺生石は頂上ではなく、駐車場や展望台のある八幡崎まで2~3kmの登りがあり、その先は長いダウンヒルです。

時刻は午前2時半。この時間帯の高原ダウンヒルは、天気が良いとはいえ、流石に寒すぎました。

斜度が緩くなって線路を越えた先にあった那須町のコンビニに駆け込みます。歯がカタカタ鳴るくらい体が冷えてしまい、温かいスープでカロリー補給と暖を取りました。

PC6:268.9㎞地点[芦野遊行柳]

コンビニで小休止を挟んで、次の目的地へ。緩やかに下りつつ268.9㎞地点のPC6[芦野遊行柳] には午前3時35分頃に到着しました。辺りは真っ暗で、ここが証跡の場所か少し不安になるくらいです。

芭蕉が芦野遊行柳を訪れた理由は、彼が尊敬する西行法師がここの柳を見て一句詠んだことから。芭蕉は推し活がしたかったようですね。そんな時に芭蕉が詠んだ句が奥の細道に残っています。

田一枚 植て立去 柳かな

農民たちが田を一枚植えて、立ち去って行き、あとに残されたのは柳のみである。

出典:俳句の教科書

次の目的地は、282.6㎞地点のPC7[白河関の森公園]です。14km先という、短い区間にPCが設置されているので、すぐに到着できます。

ですが、殺生石の登りの疲労が蓄積しているためか足が非常に重く、平坦に見える僅かな勾配すらしんどいと思えていました。

そんな中、県道76号線上で栃木と福島の県境を越えます。時刻は午前4時55分頃。陸奥みちのくへと足を踏み入れました。

PC7:282.6㎞地点[白河関の森公園]

県境からは緩やかに下り、程なくPC7[白河関の森公園]に到着です。

数多の歌人が白河の関を枕詞にした句を詠んでおり、芭蕉にとって白河の関を越えることは、大きな目標の一つでした。芭蕉は「旅心定(たびごころさだま)りぬ」と辿り着いた感想を残していますが、句を残していません。代わりに曾良が以下の句を残しています。

卯の花を かざしに関の 晴れ着かな

咲き乱れる卯の花をかざして晴着のつもりでこの関を越えよう

出典:俳句の教科書

PC8:294.7㎞地点[新白河駅]

次の目的地も距離は短く、12km先の294.7㎞地点のPC8[新白河駅]です。国道284号線に合流し、久しぶりに大きな街中の道を走ったら、駅のロータリーへ。そこにある芭蕉像がPC8の証跡です。

時刻は午前5時45分。次のPCは100km近くまで距離が伸び、392.7㎞地点のPC9[飯坂温泉] です。

今のところ眠気はまったくありませんが、スタートから18時間近く経過しており、夜通しで300kmを走ってきています。脚に疲れも感じていますので、そろそろ休んだほうがよさそうです。予定通りに30km先の郡山市の快活クラブに向かいます。

ここからは国道4号線をひたすら北上。白河市を抜けるところの道が荒れていましたが、しばらく走ると道も綺麗になってきました。

20kmほど国道4号を走ったら、一度逸れて、須賀川駅前の通りへ。ここにはウルトラマンをはじめ、シリーズに登場した怪獣らの像が立っています。

その理由は、ウルトラマンの生みの親である円谷英二監督が須賀川市出身であることからですが、ブルベとして、観光地だからJR須賀川駅前をルートとして通したわけではありません。

ここは須賀川駅周辺は、江戸時代、奥州街道の宿場町として栄えていて、芭蕉は7泊もしています。その際に詠んだ句がこちら。

風流の 初やおくの 田植うた

(白河の関を越え)風流を感じられた始まりは、陸奥の田植え歌(の趣ある歌声)だよ。

出典:和歌の世界

白河の関では句を残せなかった芭蕉ですが、この地で白河の関を越えたことをしみじみと思い返しています。

331.6km地点:快活CLUB 郡山安積店

その後は郡山市まで走り、ルートから800mほど離れたところにある快活クラブへ向かいました。時刻は午前7時45分。ここで10時出発を目標に、少し長めの休憩を取る予定です。

日本橋1000の1回目レポートはここまで。次は190km先の石巻までをレポートします。

ブルベレポート
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この記事を書いた人
ノブ

ろんぐらいだぁす!をきっかけに'17年春からロードバイクを始めたキャンプ、登山、サブカル好きなサイクルツーリスト。
 
ウマ娘から競走馬に魅了され、引退馬支援活動を'22年から開始。馬産地巡りが最近の楽しみです。
 
◇出身地
北海道(現在は東京都在住)
 
◇自転車歴
'19年 日本一周約1.5万km完走(172日)
'20年 ブルベ挑戦
'20~'23年度SR獲得
'23年 PBP完走(86時間49分)
 
◇所有自転車
KhodaaBloom FARNA 700-105
KhodaaBloom STRAUSS PRO RACE2
Birdy Standard Disc
 
◇引退馬支援活動
'22年~NPO法人引退馬協会のFP会員。タイキポーラ、ナイスゴールドの2頭を支援中。
 
  
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